ターナー展 Ⅳ.イタリア
<会場図>
Ⅳ.イタリア 8点
歴史的にも文化的にもイタリアは
芸術家にとって憧れの土地。
ターナーは
1819年、44歳で
初めてイタリアを訪れます。
アルプスを越え、
コモ湖など巡ったあと
ミラノを経てナポリまで至った
大旅行は
ターナーにとって
大きな転機となりました。
旅の間、
ターナーの描いたスケッチブックは
23冊!
鉛筆書きの素描なら
1点彩色する間に
15〜16点描ける
と、語った力量!
素描を元に
帰国後、大作を仕上げました。
2度目のイタリアは
9年後、1828年。53歳。
移動を控え、
ローマのアトリエで
キャンバスに直に描きました。
時間の浪費を嫌うターナーは
大作は未完のものが多かったですが
完成した3点は
それはローマで展示されました。
ターナーのイタリア観は
同時代の詩人バイロン卿の
影響が濃く、
自然と廃墟、
古代の人々への愛惜
などが
作品に昇華しています。
<絵画配置図>
エスカレーターを降りると
まばゆく輝き
大作が迎えてくれます。
49.ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ
1820年 ロイヤル・アカデミー展出品
ロンドンに戻ると
わずか3ヶ月で完成し
ロイヤル・アカデミー展に出品。
ラファエロの没後300年
の年でもあり、
その偉大な業績を讃える如く
手前に作品が並べられ、
本来、ラファエロの胸像がある
回廊奥の台座は空。
ラファエロ本人が登場する
心憎い演出をしています。
遠景は
サンタンジェロ城から
アペニン山脈まで見晴らせる
素晴らしい景観。
隅々まで、ご堪能ください。
50.レグルス
1828年ローマで展示
1837年 加筆
2度目のイタリア旅行で描かれ
最初、ローマで展示されました。
「イタリアそのものよりもイタリア的」
と評された作品。
忌まわしいレグルスの逸話の
白熱の太陽をカンヴァスに再現し
賛否を巻き起こした傑作です。
最初の旅で
クロード・ロランの名作を模写しているので、かなり入念に構想を練ったのではないでしょうか。
美しいはずの光に
悪い胸騒ぎをおぼえ、
見る覚悟の要る作品に思えます。
44.パラティーノの丘よりカラカラ浴場を望む、ローマ
1819年
かなり丁寧に彩色されています。
遠景のブルーと
近景のイエローが
調和して美しいです。
歴史と文化の宝庫、ローマは
19世紀には
「世界のアカデミー」
と言われたそうです。
ルシウスが、ほらそこに……
なんちゃって~~~
45.月影のコロッセオ、ローマ
1819年
白い紙に灰色のウォッシュで下塗り
しています。
月光の効果が効いています。
46.サン・ピエトロ大聖堂のポルティコ(玄関廊)の一角、鐘のアーチ、ローマ
1819年
ターナーは
ヴァティカンの権力と威厳
にも感銘を受けたそうです。
47.ポジッリポ通りから望むヴェスヴィオ火山とソレント半島、ナポリ
1819年
45.とは逆に
白い紙に透明のウォッシュを塗り
より南国の陽光を
明るく描き出そうとしています。
ターナーは旅の前から
ヴェスヴィオの噴火を想像して描いていたので
旅の間、一向に噴火せず
かなり落胆したのでは、
ということです。
そう思うと
噴煙がなんだか、
やけっぱちに見えてきます。笑。
48.ローマの壁とカイウス・ケスティウスの墓(バイロン卿の『作品集』のための挿絵) 1833年
1819年のイタリア訪問で描いた
スケッチブックは
その後も長く
ターナーのインスピレーションの
源になったそうです。
これもそんな一枚。
51.チャロルド・ハロルドの巡礼ーイタリア
1832年ロイヤル・アカデミー展出品
時に「イタリア」
と、ひとことで表される作品。
漱石先生も観たという。。。。
ターナーの芸術における
イタリアとその文化が結晶した
大作。
☆ターナーが絵に添えたバイロンの詩
……さて、美しいイタリアよ!そなたは世界の庭園なり……
そなたの雑草さえ美しい
そなたの残骸は栄光にほかならず、そなたの廃墟は決して汚すことはできぬ
清浄の魅力に飾られている
このコーナー
壁紙も薄いピンクにパールホワイトの模様が、とても素敵です◎
※会場内の写真は、主催者の許可を得て撮影したものです。
※文中の説明は、ターナー展図録(Tate 2013-14 朝日新聞社2013-14発行)
によります。
(471日目)