ターナー展 Ⅶ.ヨーロッパ大陸への旅行
1815年、ワーテルローの戦いが終わり
平和が訪れると
海外旅行ブームがおきました。
英仏海峡横断航路はもとより
ヨーロッパ大陸の主要河川に
蒸気船が導入され
間も無く
最新技術である
鉄道が都市を結びました。
観光旅行が大衆化し、
イタリアだけでなく
新たな観光地が開拓されました。
それに一役買ったのが
名所への憧れを募らせる
絵葉書。
競争の激しい市場でしたが
ターナーはここでも優位でした。
1821, 1824, 1826, 1829,1832 北フランス(ノルマンディーやブルターニュ)
1828 プロヴァンス、地中海沿岸、ローマ
他、ドイツ、ルクス、オランダ。
1836, アルプス再訪
(絵葉書収集を通して、ラスキンと出会う。ラスキンはターナーの最も熱心な擁護者となる)
1841〜44 アルプス地方(ルツェルン)
と、細かく記せば枚挙にいとまがありません。
この時代、
旅先で描いた彩色習作は
先ずパトロンに渡り、
彼等が気に入ったものを
本格的な作品に仕上げたそうです。
14点
78.ルーアンの帆船
1827-28年頃
明るい陽光と
ゴンドラ風の船から
長い間、ローマで描かれたものとされてきました。
しかし、
研究により
ルーアンでセーヌ川に浮かぶ帆船を
描いたことが判明しました。
ルーアンで
ゴシック建築に魅せられた
ターナーは
スケッチブックに同様の構図で
大聖堂を描いているそうです。
この絵も
離れてじっくり観ますと
カテドラルが浮かび上がりますね。
79.セーヌ川の浅瀬、近づいてくる蒸気船
1832年頃
1829年、1832年と2度にわたった
セーヌ川の旅は
版画集「フランスの川」
に結実しました。
青い紙にグワッシュ
という革新的な技法で描かれています。
題材も
産業革命がもたらした
蒸気船に焦点を当てています。
80.パッシーの市門より望むパリ(ターナーの年次旅行/1835年 のための原画)
ターナーも旅の間、よく利用した
長距離用乗合馬車が
描きこまれています。
「パッシーの門」は
レ・ミゼラブルにも登場する
ボノムの門。
パリ市内に入るための
検問所です。
85.北より望むルクセンブルク
1839年
これも
青い紙にグワッシュと水彩。
1824年と1839年に
版画集出版のため
モーゼル川とムーズ川沿いを
旅した時の作品。
出版計画は頓挫するのですが
ターナーは描くのをやめなかったそうです。
山肌の陰影が
水彩とは思えないほど
繊細で素晴らしいです。
90.ブルンネンより望むルツェルン湖:見本習作 1844-45年頃
1844年、最後にスイスを
訪れた際の習作
この絵を選び水彩画を注文したのは
馬車の車体製造業で財を成した
B.G.ウィンダス。
ウィンダスは
早くからラファエル前派を支援した人。
この冬、やってくる作品群のためにも
覚えておきましょう。
なお、この完成作は
インディアナポリス美術館所蔵
とのこと。
91.ハイデルベルク
1844-45年頃
1817年の初訪以来
ドイツ・ライン地方は
ターナーに多くのインスピレーションを
与えたそうです。
この大作は
17世紀の歴史を喚起させ、
現代ドイツを描いた
「ヴァルハラ神殿の落成式」(テート美術館)と対にする
意図があったようです。
左下隅の2人は
1613年に
プロテスタント国家の同盟を縁として
結婚した
プファルツ選帝侯フリードリヒ5世と
イングランド王ジェイムズ1世の長女エリザベス。
2人は波乱の生涯を送りますが
ここでは幸福に描かれています。
夫妻の孫の1人は
ジョージ1世(ハノーファー家)としてやがて英国の王位に就きます。
そして
この絵をターナーが描いた時代の
英国ヴィクトリア女王と
ドイツ・ザクセン公子アルバート
の結婚も仄めかして
英国の観衆の興味を引いています。
※会場内の写真は、主催者の許可を得て撮影したものです。
※文中の説明は、ターナー展図録(Tate 2013-14 朝日新聞社2013-14発行)
によります。
(474日目)