ポター女史生誕150周年「ピーターラビット展」
ビアトリクス・ポター生誕150周年
ピーターラビット展
HPはこちら
↓
http://www.peterrabbit2016-17.com/
世界中で愛されているウサギ
を生み出したビアトリクス・ポターの
生誕150周年
その世界観を鑑賞してきました。
10月2日日曜日の午後の混雑については
こちらへ→http://chibakkye.exblog.jp/24708827/
全208点
【構成】
プロローグ
1章 ピーターラビットの誕生
2章 絵本シリーズの世界
3章 ビアトリクス・ポターの人生
2章が大部分を占めます
シリーズ毎の展示なので、見やすいです。
帰宅してから後悔しているのですが
3章から出口へ向かう間に
日本における<ピーターラビット>受容の過程
をたどる翻訳本の展示があり、
大変興味深かったのです。
しかし、作品リストにも
カタログにもなんの記載もされておらず
今となっては手がかりがありません。
ちゃんとメモしておけば良かったです。。。
私家版を、自費出版した翌年、
絵本の大手フレデリック・ウォーン出版社から
ピーターラビットの初版が出版されたのが
1902年
時は明治。日本では翻訳本が大流行。
世界に先駆けて
ピーターラビットの翻訳がなされたのは
1906年(明治39年)
すごい早さです。
ヨーロッパでは最も早いオランダで1912年
といいますから、
洋の東西や距離を考えても
驚くべき事ではないでしょうか。
もっともこの時は
『御伽小説 悪戯な小兎』
として、似たような挿絵があるものの
原作者の情報などは記載されていませんでした。
文章は漢字とカタカナで書かれており
(「サイタ、サイタ、桜ガサイタ」のような)
昔の国語の教科書を彷彿させる
リズミカルな表現。
ピーターはペターに、
マグレガーさんは杢兵(もくべえ)爺さんに
翻訳されているのが面白いと思いました。
時代変わって大正期のものは
《ピータロー兎》と翻訳されていて
その後は《ピーターうさぎ》が主流となったようです。
明治、大正はまだ日本で農業が盛んな時期であり
兎が身近な存在であった事と
兎が畑を荒らすというシーンが
共感を得やすい理由だったとの
解説がありました。
私は幼少時、ピーターのお話には
あまり馴染みがなかったのですが
(↑単に興味がなかった?)
日本でももう100年以上
読み継がれている事に驚きました。
もう一つ興味深かったのは
ポターのビジネス感覚でしょうか。
これほど夢のある絵を描きながら
商才に長けている点は見逃せません。
商業出版の翌年には
自らピーターの縫いぐるみを製作し、
商標登録して特許をとっています。
食器やゲームなど多岐にわたっての
商品展開、
その商品の品質にも大変こだわりをもって
仕上がりに細かい注文をつけています。
そしてナショナルトラストの活動。
特に、自分の原画を全て買い戻し、
ナショナルトラストへ遺贈した例など
作品に関してビジネスライクに考える
彼女の一面に全く感心させられました。
ポター女史は
大変裕福な階級の家に生まれ育ちました。
産業革命の時流に乗って
ビアトリクスの祖父が捺染業で大成功を
収めたのがきっかけです。
「同じ年の子とはばい菌がうつるから
遊んではいけない」
と、言われて育った少女は
6歳年下の弟と
自然や動物に夢中になりました。
その興味は当時流行の解剖学にも向けられ
コウモリやネズミなどの死体を拾ってきては
鍋でぐつぐつと煮込み
煮出した骨を取り出して
寸法を細かく計測して記録する
ということも行なったそうです。
これが絵画にも生かされ
ビアトリクスの描く動物は
例えば、この動物が二本脚で立つなら
こうなる、
という骨格の確かさに
裏打ちされたものだそうです。
こんな面からも
彼女の現実的な面がうかがえました。